

私の好きな歴史上の人物に千利休がいます。
そこで、利休の辞世の句を私なりに解釈してみたいと思います。
こ存じのように、利休は、秀吉に命ぜられ切腹しました。
しかし、なぜ秀吉は、利休に切腹を命じたのでしょうか。
それは、多くの大名、武士たちが利休に敬意を払うようになり、秀吉は そんな利休に、嫉妬そして恐れを抱くようになったからです。
しかし、秀吉の本意は、利休を切腹させる事ではなく、利休に謝罪をさせたかったのです。
それは、利休が秀吉に謝り、秀吉が利休を許すことにより、秀吉がNo1、利休がNo2と上下関係を世間に知らしめたかったのです。
しかし、利休の求める茶の道には上下関係はありません。すべてが平等の世界、そんな世界を求める利休は、秀吉の要求には、とても応じられません。そして、切腹の道をえらんだのです。
千利休の辞世の句
『人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛』
「人生七十 力囲希咄(りきいきとつ) 吾這寳剣(わがこのほうけん) 祖佛共殺(そぶつともにころす) 堤る我得具足の一太刀(ひっさぐる わがえぐそくのひとたち) 今此時ぞ天に抛(いまこのときぞ
てんになげうつ)」
「人生70年、私にとっては決して平坦な道ではなかった。そこで創り上げたこの茶の道、とてつもなく大きな力を持ってしまった。いま、私は、この私の創り上げた茶の道を天に委ねることにする」
ということではないでしょうか!?
